高いパフォーマンスには、相応しい環境が必要

http://anond.hatelabo.jp/20100605013305

まぁ、「仕事だからやるのは当然でしょ」という感覚を持つ人達は「良いパフォーマンスを期待するなら、その期待に値するだけの環境を提供しないとダメ。」ということが一生理解出来ないんでしょうね。「求められる水準は高く、環境は劣悪なんて誰が好んでそんな仕事を引き受けるんだよ。」と思う今日この頃です。劣悪な環境である限り、(一部の例外を除けば)その程度のパフォーマンスしか示せない人達しか引き受けませんよ。

まぁ、これを書かれた方にとっては、日銀の審議委員なんてその程度の仕事なのかというだけですが、何か?私は、日銀の審議委員には高いパフォーマンスを期待しているので、それに相応しい環境を提供し、キチンと仕事をしてもらいたい。ファミレスで高級料理が出されるのを口を開けて待ってりゃ良いんですよ。私は高級料理が食べたいときには、そういう店に行きます。

根本的な仕事観の違いなので、どうしようもないのでしょうが。素晴らしい待遇と見合ったパフォーマンスを示すことが日銀の審議委員には良いと思います。酷い環境と見合ったパフォーマンスでされても困らないんでしょうね。きっと今の日銀のパフォーマンスに心の底から満足されていることでしょう、良かったですね。バイトとは違うんですよ、責任の重さが・・・・・

リフレ派の人達の中には、リフレ政策が実行されることよりも日銀の中の人達を非難したいだけではないかと強く感じる今日この頃です。どんなに政治的に非難されようとも「そんなの関係ねぇ。経済学的に正しいことを日銀がしてくれれば良いのだから。」と思っているわけですね。こんな人達ばかりだから、ブラック企業と非難される企業が栄え、リフレは行われず、「みんなで貧乏になれば怖くない」という状況が続くのだと思います。永遠に理想論を呟いて、「こんな簡単なことが何故できない。ボクなら簡単に変えられるのに・・」と思っていれば良いんですよ。

大事なことなので書きます。
1「実行されない政策に意味はない。実行されない100点の政策より、50点の政策でも実行される方がまし。」
2「必要な政策が実行される可能性を少しでも上げるべき。」
3「超然とした個人は、常に存在するわけではない。天才や英雄は貴重だからそう呼ばれるんです。でも日銀には永続的に良いパフォーマンスを示してもらう必要がある。」
4「政府や国会が何もコミットメントを示さないのに、一方的に日銀にコミットメントを求めるのは無理。」

最後になりますが、議会証言もトヨタ社長の仕事ですね、危機対応の一環でしょ。あれを社長の仕事じゃないと考えるような人にはなりたくありません。

悲しくなりますね。永遠に本石町と霞が関を呪っていれば良いんですよ。でもそれじゃあ現実は変わりませんけどね。

(追記)
 まぁ、結局のところ中央銀行の独立性なんて本当は大事だとは思われてないんでしょうねぇ。そして日本はゆっくりと溶けていくんではないでしょうか。霞が関は行政機関として政治に従属すべきですが、本石町をそう扱うと問題なんだと理解されないまま来ていますね。「財金分離」や「中央銀行の独立性」を連呼しながら連日介入していた人達が実際にかなりの数存在していることを考えるとこれまで書いてきたとおり、リフレを実行することはほとんど不可能なんでしょう。
 怒れる民衆をバックとした政治の前では制度なんて無力というのは確かですが、資産価格の上昇への対応に何も日銀だけが責任を負うことにしなければ良いのですが・・・ 実際に制度を整えることの政治的な困難性も考えると学界のコンセンサスがこれまでも書いてきた通り一番近道だと思いますけど。日本人の無いものねだりが、制度設計のヘタさと運用において現場の一種の自己犠牲を招いているんですが、どうしようもないなぁ。