結局さ、何を残したのかで判断されるべきなんだよね。

http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20101230/p1#tb

常夏島日記さんのエントリーに同意します。

我社でも「このままでは、マズイ。我社の存在意義が問われている。新たな使命を見つけ。生まれ変わらなければ。」と強く主張する方々がいらっしゃいます。ホントに問題ばかり巻き起こすわりに、社会からは「危機感をもった改革派」と評価される風潮はなんとかして欲しい・・・。

結局、「それは、お前がヤリたいだけじゃないのかよ〜」と巻き込まれる下っ端としては非常に辛いものがあります。「世の中から問われているのは、施策の対象ではなく、やり方なんじゃないの?すぐに職員の意識改革なんて言うのではなく、どうして職員がそんな行動をとってしまうのか、出先や下部職員の行動を決定するインセンティブ構造がどうなっていて、どう変えなければいけないのかについてキチンと考えるべきじゃないの?結局、羹に懲りて膾を吹くから、喉元過ぎれば〜の繰り返しになっているのが、どうしてなのか?カンガエロヨ。」と普段思っている私としては、激しく同意してしまいます。

危機感を煽り、騒げば「仕事に真面目に取り組んでいるように見える。」そしてマッチポンプを繰り返して「自分のヤリタイ(世の中から改革派として褒められたい)方向に組織を誘導していく。」の繰り返しで、今おこなっている施策の精度や効率性を上げてくれという要望には応えようとしないし、向上しようとしている人たちを不当に非難したり、揚げ足をとろうとする。その結果として「問題が繰り返されている」ことには目を向けようともしない。

あ〜あ、本当に改善の積み重ねを行うことよりも「改革」ばかり追い求めるのは意味ないのにね。(結局、ぐるっと一周して、スタート地点に戻ってきたの繰り返しじゃねぇかと・・・)